〜今、秘密の扉が開く〜
カジポン・プライベート・ルーム
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| 《“カジポン”公式プロフィール》 カジポン・マルコ・残月。1967年11月24日、ビートルズがロック革命を起こした衝撃的 アルバム“サージェント・ペパーズ”を発表し、ジャニスやジミ・ヘンが大ブレイクしたその年、 大阪城正面の病院にて生まれ落ちる。 以後、文芸とは全く無縁な日々を送っていたが、青春時代、美大志望の娘、音大生の娘、 図書館受付嬢に続けて熱を上げ、恋の打算からそれぞれ絵画、クラシック、文学に没頭。 恋愛は見事全部玉砕するも、気が付けば文芸ジャンキー(中毒者)という本末転倒状態に。 めくるめく素晴らしき失恋の日々を通じて、同志ベートーヴェンや同志ゴッホという失恋 大魔王がますます身近に。“連中と酒が飲みたい!”という熱い思いが頂点に達した時 から、貯金を全て墓巡礼に注ぎ込み、あちらとこちらの世界を右往左往。正気に戻らぬ まま現在に至る。 座右の銘は「どっこい生きてる」。
【“カジポン・マルコ・残月”〜ペンネームの由来】 かつて日曜夜の名作アニメ劇場で『母をたずねて三千里』なる作品が放映されていた。これはイタリアからアルゼンチンに出稼ぎに出て消息が途絶えたおっかさんを探す為に、9才の少年がはるばる海を越えて南米の地をさまよい歩くというハードな物語だ。彼の旅は悪党に騙されたり、有り金をすられたり、ようやく会えると思ったら既にそこにいなかったりの繰り返しで、かなりトホホなものだった。だが窮地に陥る度に人の心の温かさに助けられ、最終回で彼は“僕の旅は素晴らしかった!”と叫ぶに至る。 この少年の名はマルコ・ロッシ。1996年、僕が墓参レポートの原点ともいうべき『墓をたずねて三千里』を同人誌に発表する際に、このマルコ少年に敬意を込めてミドルネームに名を冠させて頂いた。実際、海外の巡礼で強盗にあったり、荷物をごっそり盗まれても、「マルコ師匠なら旅を続行したハズ!」「9歳でも頑張ったんだ!俺は幾つだ!?」と自らを奮い立たせています。カジポンは本名の音読。 そして残月。月は自分では輝いておらず、太陽があって初めて輝くことができる。文芸研究家も、バッハやゲーテ、シェイクスピアという太陽がいて初めて存在が可能だ。だから偉大な先人への感謝を込めて“月”を名前にしたかった。ただし、夜のお月様は夜道を照らしたり人の役に立っているけれど、僕にはとてもじゃないけどそんな存在価値はなく、70億人の人類の末席にこっそり座らせて頂いているので、昼間のお月様=残月と名乗っている次第です。 【生まれ変わりたいものはラクダとオケラ】 ※オケラ 空を飛べる、地を駆けられる、地中に潜れる、水面を泳げると何でも出来ちゃう。しかも、羽をこすって鳴く吟遊詩人! ※ラクダ 食い放題の店や忘年会でどれだけ食べても、翌日の晩には腹ペコになることが昔から悔しかった。腹一杯のふたこぶラクダは2週間飲まず食わずで平気という。その食べ置き能力が欲しい!しかもラクダは環境適応能力も優れていて、60度の砂漠だけでなく、氷点下の高地でも生きていけるのだ。冷暖房いらずのミラクル・アニマル、ぜひ生まれ変わりたい憧れの動物だ! 《国家機密!極秘プロフィール》 ‘67年パリ、豪雨と雷鳴の中シャンゼリゼ通りのアパートの一室に生まれ落ちる。父は パブロ・ピカソ、母はアガサ・クリスティ女史(M・モンロー、ボーヴォワール、マリア・カラス などの噂は後年デマと判明)。 若干3歳にしてピアニスト・デビュー、同年ショパン・コンクール優勝。客席にいたアイン シュタイン氏が当日の日記に「私は神が存在する証拠を目撃した」と記す。 9歳のとき、たわむれに出場したモントリオール・オリンピックにて100mを4.8秒という 驚異的タイムを弾き出し一躍時の人に。その後8年間は消息不明(俗に言うカジポン暗黒 の8年)。エベレスト登頂中のイタリア隊が単独登頂に挑戦している氏を目撃した例や、 ネス湖周辺で水中ボンベを背負った姿、ナスカ平原で発煙筒を焚いている氏の目撃例が あるがいずれも事実未確認。 再び世間に出た17歳の夏、ノーベル文学賞、化学賞、平和賞を立て続けに受賞し、 史上初のノーベル3冠王を達成。会場は騒然となり、失神した審査員が続出。平和賞の プレゼンターを自ら務めたローマ法王が涙を流す一場面も。 翌年18歳でハリウッドに単独渡航し、初監督の『風と共にローマの休日』で空前のアカ デミー賞全部門制覇。その一方で、故ケネディ大統領の首席ブレーンとなるかたわら、 後期ビートルズのほぼ全曲を影で作曲していたのはあまりにも有名。 20歳の誕生パーティの司会にゴルバチョフ&レーガンのコンビを起用し周囲を驚かせ た後、同年、片手間に書いたその著作『我が半生』が全世界で翻訳され、100兆部のメガ ベストセラーに。もはや太陽系で氏の名を知らぬ者は皆無となった。 ところが、このまま順調に人生を歩んでいくかに見えた25歳の冬、ニューヨーク・タイムズ 日曜版にてオードリー・ヘプバーン、カトリーヌ・ドヌーブ、マレーネ・ディートリヒとのトリプル・ スキャンダルが発覚し、世界中の非難を浴びて一線から退く。半年後、マスコミの取材攻勢 に嫌気がさし米国を脱出。極秘裏に日本へ逃亡したのち沈黙を守り続けるも、1999年 5月、どうせあと2ヶ月でノストラダムスの予言通り世界が破滅するのならと、潜伏先の大阪 にて匿名で活動を再開する。現在、その野望をHP上に炸裂させている模様。 既婚。一児あり。貧乏。 『俺はヤツにギターを教えてもらったんだぜ』(ジミ・ヘンドリックス談) 『カジポン…彼こそがミスター・ポップアートだ!』(アンディ・ウォーホル談) 『相対性理論の助言をどうもありがとう!』(アインシュタイン談) 『2度と私の前であの男の名は言わないで』(マリリン・モンロー談) 『アイツに後は任せたと伝えてくれ…』(チェ・ゲバラ最後の言葉) 『実に半数以上の作品のゴースト・ライターが彼だったことを、我々はここに告白する』 (カミュ&サルトルのパリ共同声明から) 以上、米国CIA‘99年度内部資料より抜粋 ★これが自分のライフワーク!『墓をたずねて三千里』
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